移住は思いがけずして。
2015年3月下旬、はらはらと雪が舞い散るなか、白川村地域おこし協力隊2期生として、福田麻衣子さんの白川村での暮らしが始まりました。旅好きの福田さんにとって、白川郷は人生に一度は訪れてみたかった憧れの地。とはいえ、まさか自分がそこで生活をすることになろうとは、思いもよらなかったといいます。
当時、10年間夢中になった大阪での店舗建設の仕事を離れ、地元、千葉県に帰郷し心身を休めようと考えていた福田さん。白川村との出会いは、偶然目にした村の地域おこし協力隊の募集記事でした。仕事の傍ら、空き家改修のボランティアに参加し、地域とつながりや、場づくりに魅力を感じていた経験から、活動内容の一つ「空き家の活用」に興味を持ち、さらに同時期に白川郷への旅行が決まっていたことに運命を感じて応募。村に引き寄せられるかのように移住が決まりました。
「住み慣れた大阪を離れるのはとても寂しかったけど、不思議と移住への不安はなかったですね。なんとなく、呼ばれているような気がしたんです」。
地域の一員として、この村に住み続けたい。
移住後は、自分の興味関心にこだわらず、声をかけてもらった活動や集まりには積極的に参加。福田さんの心を大きく動かしたのは移住後半年で参加した「どぶろく祭」でした。地域の民謡保存会の誘いを受け、祭りまでの1ヶ月間、毎晩村民とともに民謡の練習を重ね、村民の祭りに対する並々ならぬ熱量を肌で感じ、この頃から明確に「ずっとここに住み続けたい」、そう思うようになったといいます。
その後も、地域の青年会や白川郷荻町集落の自然環境を守る会など、公私ともにさまざまな活動に関わるなかで、村の方々に恩返ししたい、大好きな人たちと村での暮らしをもっと楽しみたいという思いを募らせた福田さんは、3年間にわたる任期後も白川村に残ることを選び、地域の互助組織である「組」に参加。これにより地域の一員としての意識はより確固たるものに。今も多世代が同居し、地域での役割は世帯単位で果たすことが基本の白川村では、福田さんのように一人暮らしで組入りすることは決して楽ではありません。
しかし、福田さんが感じる村の暮らしの醍醐味は「一人では生きていけないこと」。住まいである合掌造り家屋の雪囲いや、屋根雪下ろし、草刈り。地域の人々に助けられながら、移住して7年目の今も自分の力でできることを増やし、村民として日々たくましく成長し続けています。
“白川”らしくの前に、“自分”らしく。
「つい最近まで、常に地域のためにできることを考え、白川らしくあろうとしてきましたが、最近は自分が何をしたいかということも大切にしたいと思うんです」。
あらゆる立場の人が深く関わり合う村のコミュニティでは、“みんなのため”や“地域のため” が上手くいかないことも珍しくありません。地域で暮らす責任を持ちながらも、一人一人が自分らしく生きられることが大前提。互いを尊重して協調、協力し、ともに地域を守ることが持続可能な村につながると福田さんは考えています。
今、福田さんは「白川村移住交流窓口」で、一人の“村民”として移住希望者の相談や空き家調査を担当しています。目指すのは、時間をかけて育んできた地域とつながりを活かし、新たな移住者と地域との架け橋になること。持ち前の豊かな好奇心と包容力を存分に発揮し、自分らしく生きる彼女の存在は、少しずつ、でも確かに、白川村を強くしなやかな村へと変化させています
福田 麻衣子/千葉県出身。大学卒業後、大阪の企業に10年間勤めた後、2015年に地域おこし協力隊として白川村に移住。現在は(一社)ホワイエに所属し移住相談窓口を担当。地域活動にも積極的に参加している。