タブロイド版掲載 – 飛騨日日新聞 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi 飛騨日日新聞は白川村での暮らしや文化、 そこに生きる村民のストーリーを届けるメディアです。 Mon, 04 Dec 2023 09:59:36 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.4 地域と移住者をつなぐ架け橋に/一般社団法人ホワイエ 福田麻衣子さん https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/fukudamaiko/ Fri, 14 Jan 2022 09:05:28 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1469

移住は思いがけずして。

2015年3月下旬、はらはらと雪が舞い散るなか、白川村地域おこし協力隊2期生として、福田麻衣子さんの白川村での暮らしが始まりました。旅好きの福田さんにとって、白川郷は人生に一度は訪れてみたかった憧れの地。とはいえ、まさか自分がそこで生活をすることになろうとは、思いもよらなかったといいます。

当時、10年間夢中になった大阪での店舗建設の仕事を離れ、地元、千葉県に帰郷し心身を休めようと考えていた福田さん。白川村との出会いは、偶然目にした村の地域おこし協力隊の募集記事でした。仕事の傍ら、空き家改修のボランティアに参加し、地域とつながりや、場づくりに魅力を感じていた経験から、活動内容の一つ「空き家の活用」に興味を持ち、さらに同時期に白川郷への旅行が決まっていたことに運命を感じて応募。村に引き寄せられるかのように移住が決まりました。

「住み慣れた大阪を離れるのはとても寂しかったけど、不思議と移住への不安はなかったですね。なんとなく、呼ばれているような気がしたんです」。

地域の一員として、この村に住み続けたい。

移住後は、自分の興味関心にこだわらず、声をかけてもらった活動や集まりには積極的に参加。福田さんの心を大きく動かしたのは移住後半年で参加した「どぶろく祭」でした。地域の民謡保存会の誘いを受け、祭りまでの1ヶ月間、毎晩村民とともに民謡の練習を重ね、村民の祭りに対する並々ならぬ熱量を肌で感じ、この頃から明確に「ずっとここに住み続けたい」、そう思うようになったといいます。

その後も、地域の青年会や白川郷荻町集落の自然環境を守る会など、公私ともにさまざまな活動に関わるなかで、村の方々に恩返ししたい、大好きな人たちと村での暮らしをもっと楽しみたいという思いを募らせた福田さんは、3年間にわたる任期後も白川村に残ることを選び、地域の互助組織である「組」に参加。これにより地域の一員としての意識はより確固たるものに。今も多世代が同居し、地域での役割は世帯単位で果たすことが基本の白川村では、福田さんのように一人暮らしで組入りすることは決して楽ではありません。

しかし、福田さんが感じる村の暮らしの醍醐味は「一人では生きていけないこと」。住まいである合掌造り家屋の雪囲いや、屋根雪下ろし、草刈り。地域の人々に助けられながら、移住して7年目の今も自分の力でできることを増やし、村民として日々たくましく成長し続けています。

“白川”らしくの前に、“自分”らしく。

 「つい最近まで、常に地域のためにできることを考え、白川らしくあろうとしてきましたが、最近は自分が何をしたいかということも大切にしたいと思うんです」。

あらゆる立場の人が深く関わり合う村のコミュニティでは、“みんなのため”や“地域のため” が上手くいかないことも珍しくありません。地域で暮らす責任を持ちながらも、一人一人が自分らしく生きられることが大前提。互いを尊重して協調、協力し、ともに地域を守ることが持続可能な村につながると福田さんは考えています。

今、福田さんは「白川村移住交流窓口」で、一人の“村民”として移住希望者の相談や空き家調査を担当しています。目指すのは、時間をかけて育んできた地域とつながりを活かし、新たな移住者と地域との架け橋になること。持ち前の豊かな好奇心と包容力を存分に発揮し、自分らしく生きる彼女の存在は、少しずつ、でも確かに、白川村を強くしなやかな村へと変化させています

福田 麻衣子/千葉県出身。大学卒業後、大阪の企業に10年間勤めた後、2015年に地域おこし協力隊として白川村に移住。現在は(一社)ホワイエに所属し移住相談窓口を担当。地域活動にも積極的に参加している。

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世界一おいしい米を白川郷から/大田ファーム https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/ota-farm/ Tue, 13 Jul 2021 10:36:34 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1334 昨年11月、あるニュースが村を湧かせました。白川郷生まれの米が、米の国際大会で金賞を受賞、世界トップ18に選ばれたのです。快挙を成し遂げたのは「戸ヶ野のこしひかり」をつくる大田ファームの大田剛之さん、妙子さんご夫妻。村唯一の専業農家として、試行錯誤を繰り返しながら、米や野菜を育てています。

Uターンを機に、「農」で生業を。

5月下旬から6月初旬の白川村は田植えのシーズン真っ盛り。村内にぽつりぽつりとある田んぼは水をたたえ、青々とした稲が初夏の田園風景を彩ります。

村では多くの家が田畑を所有しているものの、古くから農業を生業とする家はありませんでした。

そんな農業未開拓地で、大田剛之さん、妙子さんは2012年に新規就農。村唯一の専業農家としての道を歩んでいます。

もともと、10年にわたって土建業に就き、その後大手工場に勤めていた剛之さんは農業は全くの素人。契機が訪れたのは2009年のことでした。リーマンショックで仕事が激減し、出身地である白川村戸ヶ野地区へのUターンを考えていたとき、村の営農組合の人材募集の情報が目に止まり、農業の世界に足を踏み入れることとなりました。

「いつかは村に帰るだろうと思っていたので、その時期が来たという感じでしたね。Uターンは前向きでした」

営農組合では、村民からの田植えや機械作業を受け負い、農業に携わるなかで、徐々に自分自身のやりたいことが見えてきた剛之さんは、2012年、夫婦で独立。「大田ファーム」を設立しました。

農業未開拓地でのチャレンジ

今でこそ村内外に認められている大田ファームですが、独立当初は苦労の連続だったといいます。

村には農業の先輩がいないだけでなく、おいしい米や野菜をつくっても、各家庭で食べる分はそれぞれの土地で栽培していることが多く、売り先がありません。

「村民には売れないし、観光客が野菜を買うことは考えにくい。村で売るという発想をやめないといけませんでした」と振り返る妙子さん。

二人は試行錯誤を重ね、黒にんにくやそば、甘酒など、加工品も含めて販売網を広げていきました。妙子さんが担当する30種類以上もの野菜は、ECサイトでセット販売するほか、学校給食で村の子どもたちにも食べられています。

世界一の米を育てることは、村の景観を守ること。

「飛騨米は全国的にレベルが高いのにまだ知名度が低いんです」と、過去の大会の分析結果をまとめた分厚いファイルを手に、悔しそうに呟く剛之さん。実際に飛騨の農家の米はこれまでにコンクールでの入賞歴が多数あり、米どころ新潟に匹敵するほど品質の高い米づくりをしています。

大田ファームが「第22回米・食味分析コンクール国際大会in富士山」の国際総合部門で最高金賞を受賞、さらには東洋ライスの「世界最高米」の原料米として選ばれたことは、飛騨地域の一員として、肥料の試験や水の管理などあらゆる研究を重ね、レベルの高い環境で米づくりに取り組んできたことの結果でもあります。

コロナ禍での受賞で式典がオンラインで開催され、受賞の実感を持てずにいた大田さん夫妻の励みになったのは地域からの祝福の声でした。

「役場には垂幕まで飾っていただいて、村の人たちに喜んでもらえたことがとても嬉しかったです」

白川村では2019年に「白川郷おいしいお米プロジェクト」がスタートし、役場や大田ファームをはじめとする農家が手を取り合って「白川郷こしひかり」のさらなるブランド化に取り組んでいます。「現状で満足することなく研究を続け、楽しみながらもっとおいしい米づくりをしたいです」。

付加価値の高い米をつくることが世界遺産の景観や田んぼを守ることにつながると信じ、大田ファームは夫婦二人三脚、これからも世界一の米を目指します。

大田ファーム

白川村認定農業者。ブランド米「戸ヶ野のこしひかり」のほか、にんにく、そば、ブロッコリーをメインに栽培。白川村産の米のブランド化にも積極的に取り組む。

HP/https://ota-farm.crayonsite.com/

直売所 長助

住所/岐阜県大野郡白川村鳩谷486-1
営業時間/ 10:30〜15:30 不定休 (冬季休業11月〜4月下旬)

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タブロイド 第3号発行! https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/hidanichi03/ Thu, 08 Jul 2021 13:14:57 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1370 飛騨日日新聞タブロイド版の最新号が完成しました!

今回も白川村に関わるたくさんの方々にご協力いただき発行することができました。ご協力いただいたみなさま、楽しみにしてくださっているみなさまありがとうございます。

特集でご紹介させていただいているのは村唯一の専業農家「大田ファーム」さん。Uターンのきっけや米づくり、農業にかける想いを伺いました。

記事は近日中にWEBでも公開予定です。

飛騨日日新聞タブロイド版は白川村内を中心に配布しています。村内では各地区の寄り合いの際に配布されますのでお楽しみに!

また、村外の方でタブロイド 版にご興味がある方は直接SNSのDMまたはメール(press@hidanichi.com)までお問い合わせください。

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【座談会】豪雪と闘い暮らしを守る、白川村の建設会社 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/kensetsu/ Tue, 13 Apr 2021 10:40:47 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1057 多いときには人の背丈を優に越える2メートル以上もの積雪を記録する豪雪地帯白川村。延々と降り積もる雪で村一帯が覆われます。そんな冬の村の生活道を守るのは、村内8社の建設会社。毎年初雪が降る11月から3月上旬には、土木の仕事を休み、除雪作業に専念します。除雪の裏話や赤裸々なトークが満載の、建設会社3社による特別座談会をお届けします。
[プロフィール](写真左から)
沢田康仁(さわだ・こうじ)/ 沢田建設株式会社
中森孝博(なかもり・たかひろ)/ 御母衣建設株式会社
坂次正行(さかつぎ・まさゆき)/ 小坂建設株式会社

まず初めに自己紹介をお願いします。

沢田 沢田建設の沢田康仁です。除雪歴は26年かな。

中森 御母衣建設の中森孝博です。除雪歴は20年くらいです。

坂次 小坂建設の坂次正行です。僕は高速の除雪をしていたことはありますが、白川では除雪歴3年。まだ初心者マークのほやほやです(笑)。うちは除雪をするのは1人で、誰も教えてくれる人はいないので、現場に出て勉強中です。

沢田 それはすごいな! 1人なんや。

坂次 ずっと気が張ってるから、すごく疲れるよ。孤独との戦い。その分の責任感はある。誰のせいにもできないからね。

沢田 最初の頃は緊張したよなあ。一人前になるまではどれくらいかかったかな?

中森 1人で任せられるのは5年かな。除雪車には誰でも乗れるけど、雪の状態や道路のことを覚えるとなると5年ですね。いろんな雪の降り方を経験してね。

沢田 数えられないくらいのパターンがあるよな。

中森 みんな自分の担当区域は目をつぶってでもできるんじゃないかと思うくらい、ガードレールや道路標識の位置とか全部把握してますね。

沢田 自分の担当区域は完璧に把握しているけど、他の区域はようやらんね(笑)。

除雪は何時からスタートしますか?

沢田 朝3時に起きて、雪の状態を確認してみんなに電話で出動の連絡をする。除雪作業がスタートするのは4時くらいかな。

中森 うちは3時出発。2時に起きて、現場を一通り確認する。御母衣から荘川まで行くんですけど、一度行って帰ってきて積雪の状態を確認したら、みんなを電話で起こす。

坂次 うちもそれくらいだな。基本的には、担当区域が通勤や通学の人が通行し始めるまでに終わるように。そこから逆算して、雪の量によって3時の日もあれば、4時の日もある。

沢田 沢田建設の担当区域は白川郷学園の通学路が含まれているから、特に子どもたちのことが気にかかる。もし、歩道が雪で通れなくて、子どもが車道に出でしまったら事故にもつながるから。

坂次 スクールバスが通るまでには絶対仕上げるようにしてるな。

中森 どうしても間に合わない時はひとまず1車線を開けるんです。片道15kmくらいの区間だから、全部やってると間に合わないんですよね。

それだけ朝が早いと生活のリズムも変わりますよね。

沢田 冬の期間だけは完全に除雪に合わせた生活リズムになりますね。

中森 21時にはもう寝てしまうかな。

坂次 天気予報で翌日降らないとわかったときは爆睡ですよ(笑)。

中森 大体、Yahooとお天気.comとウェザーニュース、3つのお天気アプリを確認して、あとはその時の振り方を見ればだいたい翌朝の積雪の様子が想像つく。年によって当たるアプリが違うんだよね。

沢田 でもさ、毎日起きてると除雪ない時でも目覚めるよな(笑)。目覚ましより先に起きちゃう。

中森 わかる、わかる。この感覚がもとに戻るまでは1週間くらいかかるんだよね。曜日感覚もなくなる。

沢田 冬の時期は決まった休みはないし、今年は大晦日も正月も出動してたもんなあ。

中森 僕は過去に家族旅行中に大雪になることが分かって、目的地に着いてすぐに除雪のために一人だけ帰ってきちゃったことがあるよ。もうお父さんとは旅行行かないって言われた(笑)。

白川村の除雪の技術力は非常に高いと聞きました。

中森 直接言われたことはないけど、白川は除雪がきれいみたいだよね。10年くらい前までは業者間で差があったけど、最近はどの業者でも技術力がかなり高い。

坂次 それはあるかもしれない。アスファルトが見えるまで除雪するところは他の地域ではほとんどないんじゃないかな。

沢田 僕は高山出身だけど、高山と比べても全然違う。でも、それは技術力の高さだけではなくて、雪を捨てる場所があるからだと思うんだよね。

中森 高山には雪捨てる場所がないもんね。

沢田 そうそう、除雪をしても雪を除ける場所がないから沿道に溜まっていってしまう。その点、白川は田んぼや使っていない土地を村民が無償で提供してくれるから、僕たちも雪を捨てに行けるんだよね。

除雪を続けられている原動力はなんですか?

中森 それはもう仕事だからとしか言いようがないよなあ(笑)。

沢田 村のみんなの生活に直結するから休むわけにはいかない。

坂次 村民の生活を守るという、使命感かな。

沢田 昔は40歳も過ぎれば、除雪作業は若手に世代交代できたけど、今はもう平均年齢が40代くらいになってきている。人数が多かった時は交代制でできたけど、今は1人が12時間除雪し続けることも少なくない。会社も減ってるから担当区域も広くなったしね。

中森 そもそも建設業界に入ってくる若い人がいないですよね。飛び込んできたとしても、経験がいるから時間がかかる。大変な仕事だけど、みんな責任感を持ってやっています。どんなに夜中に電話しても電話に出る。中には寝ぼけている人もいるけど(笑)。

沢田 そうやな。昔に比べれば機械がよくなって、ずいぶんと除雪しやすくなってるから、僕は結構楽しんで乗ってます。除雪中に子どもたちが手を降ってくれたり、地域の方が温かい缶コーヒー差し入れてくれることとか、励みになりますよね。今年もあともう一息かな!

みなさん、本日はありがとうございました!

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白川郷こしひかりプレゼントで新村民歓迎! https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/koshihikari-present/ Tue, 30 Mar 2021 00:12:29 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1091 白川村役場観光振興課では村への移住者を歓迎しようと、3月23日から全ての転入者に「白川郷こしひかり」5キロをプレゼントする企画をスタートしました。

村が誇る豊かな自然に育まれたお米を贈ることで、村民からの歓迎の気持ちと、村が大切にしている「結」の心を感じて欲しいという思いが込められています。

これまで事務的に行われてきた転入手続きですが、村民課での手続き後にお米のプレゼントをすることで、新村民と役場職員のコミュニケーションが生まれるようになりました。

古くからの地域コミュニティを大切に守りながらも、村外からの移住者も柔軟に受け入れることは、地元民と新村民がこれからの白川村の豊かさを共に育んでいくことに繋がります。

春は出会いと別れの季節。役場には様々な背景で村への転入手続きをする人が訪れます。お米のプレゼントは今後も続けられ、白川郷こしひかりが新村民と地域を繋ぎます。

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森下貴昭さん/麺切り 白流 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/hakuryu/ Fri, 26 Mar 2021 11:20:40 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=876 岐阜県瑞穂市にある「麺切り 白流」は、自家製焼干しを使ったこだわりの出汁ともちもちとした食感の自家製麺が人気のラーメン店です。店主の森下貴昭さんは白川村平瀬地区の出身。都内で料理人、岐阜にUターン後はラーメン店での修行を経て、3年前に満を持して「白流」の暖簾を掲げました。

店主の森下さんがラーメンの世界に飛び込むきっかけとなったのは、20歳の頃に出会ったあるラーメンがきっかけでした。当時、ラーメンといえば高山ラーメンしか知らなかった森下さん。都内で出会ったラーメンの味に感動し、それが忘れられず、いつしか自分のラーメン店を持つことを志すようになりました。

都内のフレンチレストランで料理人としての腕を磨き、岐阜に戻ってからは関市の名店「白神」で7年間修行を積んだのち、3年前に念願の独立。魚の仕入れの状況によって日々変化するこだわりの出汁ともちもちとした自家製麺が生み出す味わいは唯一無二で、ラーメン通を唸らせます。

店内を見渡すと、白川郷のポスターや、合掌造りを思わせる天井の骨組みが目に入ってきます。

「岐阜市内で物件を探していましたが、納得いくところが見つからず、たまたま紹介していただいた物件がこの建物でした。中に入ると、内装に合掌造りの要素を感じ、呼ばれたような気がして即決したんです」。

今も月に1〜2回は村に帰るという森下さん。特に冬の時期はご実家の雪下ろしのために足繁く通います。村に帰ると同級生と顔を合わせることも。

「白川村の同級生って、兄弟でもなく、友達でもない、特別な関係なんですよね。何十年ぶりに話しても、昨日まで一緒にいたような感覚になります」。

村を離れてもなお、森下さんの心はいつも故郷とつながっているのです。

白流監修「焼干し中華そば」カップ麺、全国のファミリーマートで販売中!

白流さんが監修したカップ麺が、全国のファミリーマート限定で販売中です。

遠方でなかなかお店に足を運べないという方も、ぜひご家庭で白流さんの味をお楽しみください!

麺切り 白流

住所:岐阜県瑞穂市森860-1

営業時間:10:00~14:30(※スープがなくなり次第終了)

定休日:月曜日・第3火曜日

HP:https://www.mengiri-hakuryu.com/





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【あの子、今どうしてる?】No.3 大溝琴さん(愛知学院大学) https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/doushiteru-3/ Mon, 15 Mar 2021 09:13:23 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1028 ヒダニチ編集部が白川村出身者の“今”を追う企画「あの子、今どうしてる?」。 村で生まれ育った子どもたちが、仕事や学業、スポーツなど、それぞれの道を歩む姿をお届けします。 第3回目は愛知学院大学2年生の大溝琴(おおみぞ こと)さんです。 大溝さんは大学に通いながら、白川村で新しい取り組みを始める準備をしています。
愛知学院大学名城公園キャンパス

大学ではどんなを勉強していますか?

現在、愛知学院大学商学部の2年生で、マーケティングや経済学などを学んでいます。将来、白川に帰ってきて、父の自営業を手伝いたいという思いがあって商学部を選びました。

名城公園キャンパスは新しくて大学生活を送るのにはとても良い環境です。でも、去年はコロナの影響でオンライン授業がほとんどで、キャンパスに通うのは週1回のゼミぐらいでした。来年度からは対面授業が再開するので楽しみです!

中学生の頃から、将来は白川村に帰ることを決めていたとお聞きしました。

そうなんです! 中学2年生の時の学校の地域公開日で「ウエディングデザイナーになって、白川に戻ってくる!」と宣言したのを覚えています。ウエディングデザイナーという夢は変わりましたが、白川に帰りたいという気持ちは今も変わっていません。

白川村のどんなところに愛着を感じますか?

高校で岐阜市、大学は名古屋と、村の外に出たからこそ気づけたことがたくさんあります。白川にいる時はそんなに感じていなかったのですが、一番の魅力は地域との距離が近いことですね。今はただただ純粋にここで暮らしたいなと思うんです。村を離れた頃はホームシックになって、毎日お父さんに電話をしていました(笑)。

白川村にはよく帰ってきていますか?

実家はお父さんとおばあちゃんが2人暮らしなんです。83歳のおばあちゃんが家事を一人でこなしているのがとても心配で。少しでも料理や掃除を手伝えたらと思って、白川にはよく帰ってきています。この1年は、大学がオンライン授業なのもあって、白川にいても授業が受けられるので、1週間くらい滞在することも多かったです。

村外の友達に白川村を案内するとしたらどこに連れていきたいですか?

去年、大学の友達が白川村に行きたいって言ってくれていたので、本当は冬のライトアップに連れてこようと思っていたんです。でも、コロナで中止になってしまって…。いつか、コロナが収まったら見せてあげたいですね。

これから挑戦したいことを教えてください!

大学3年生になったら起業をしたいと考えています。父が自営でお土産の卸売業をしていて、その手助けをしたいんです。父はまだガラケーを使っているくらい、SNSやパソコンが苦手なので、パソコン作業や情報発信の部分で自分が力になれることがあるかなと思って。仕事だけではなくて、生活の支えにもなれたら嬉しいです。

取材のこぼれ話

今回は大溝さんがキャンパス以上によく足を運んでいるという名城公園でお話を伺いました。1年生の頃にはランニングをしたり、友達とお花見をしたこともある馴染みの場所。大学の友達とは、公園からすぐの「金シャチ横丁」にランチを食べに行くことも。村や家族のことを気にかけながら、名古屋での大学生活も満喫している様子でした。

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山本慎一郎さん/山本佐太郎商店 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/yamamotosataroushoten/ Thu, 24 Dec 2020 21:00:00 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=616 岐阜市の老舗油問屋「山本佐太郎商店」4代目の山本慎一郎さんは、2019年5月からの1年間、白川郷学園8年生(中学2年生)とともに「村民学」の授業を通して白川村の新しいお土産開発に挑戦しました。16人の子どもたちともに、村民に愛されるおやつを目指し誕生したのが、白川村産米粉を使った焼き菓子「ゆいのわ」です。

山本さんが白川郷学園8年生と出会ったのは2019年5月のこと。

学園の子どもたちが村の未来の担い手として自分たちのふるさとについて学ぶ「村民学」の授業を通して、村の新しいお土産開発として味づくり、マーケティング、プロモーション、デザインにチャレンジしました。

(ゆいのわ誕生の詳しいストーリーと授業の様子はこちらからぜひご覧ください)

白川郷が日本有数の観光地でありながら、村内の土産屋に並ぶ商品はほとんどが村外でつくられていると知った山本さんと子どもたち。

村民に愛されるおやつを目指して開発したのが白川村産米粉を使った焼き菓子「ゆいのわ」です。

ゆいのわは現在、土産物屋や飲食店など村内限定で販売されています。

山本さんは講師として授業への参画の誘いを受けたとき、当時8年生の担任だった鈴木大介先生の「学校は人との“違い”を学ぶ場所。子どもたちには“多様性”を感じて欲しい」という考えに深く共感をしたそう。

人口1600人の小さな村では会う人、関わる人の多様性がどうしても限られてしまいます。

だからこそ子どもたちに外の人との関わりを持って欲しいという白川郷学園の寛容な姿勢は、小さな村特有の閉鎖的なイメージに反しとても新鮮に感じられたといいます。

鈴木先生をはじめ、村役場の職員、授業をコーディネートする十六銀行など授業をつくりあげるメンバーの熱意を受け、山本さんは迷わずプロジェクトへの参画を決めました。

「当時8年生だった子どもたちは、次の春には卒業を迎えます。10年、20年先の白川村でもゆいのわが愛され続け、成長した子どもたちがまた別のかたちでゆいのわに関わる姿が見てみたいですね」。

1年間の授業が幕を閉じた今も、山本さんはゆいのわと子どもたちの未来に期待を寄せています。

ゆいのわ

http://kankou.shirakawa-go.org/yuinowa/

大地のおやつ

https://www.m-karintou.com/

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【ばあちゃんの味】新谷とき子さんの「じんだと田舎料理」 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/aratanitokiko/ Wed, 23 Dec 2020 03:02:30 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=688 料理自慢の村民の“食卓”にお邪魔します!
ばあちゃんの味 1軒目 | 新谷とき子さんの「じんだと田舎料理」
じんだ / 野菜の天ぷら / 冷奴 / 茶碗蒸し /じゃがいもの甘辛煮/漬物/お浸し/イワナの塩焼き・刺身/わらびの白和え/煮物/栗きんとん/干し柿/くるみ

木谷地区で民宿「白弓荘」を営む新谷とき子さんの自慢の料理は白川村南部に古くから伝わる「じんだ」と、季節の素材をふんだんに取り入れた田舎料理。

どの料理も味付けや火加減は長年の経験が頼りです。

野菜は畑で、山菜は近所の山で、イワナは池の庭で。とき子さんは白川村の豊かな自然の恵を丁寧に料理して宿泊客にふるまいます。

「白川村の自然が大好きで、こんな環境でやりたいことができているのがとても幸せ。ハイカラではないけど、時間と手間を欠けた料理が好きなの。」と、とき子さんは楽しそうに料理について語ってくれました。

白川村南部に伝わる「じんだ」は、前日から水につけてふやかした豆をふっくらと煮て、石臼でゆっくりとすり潰し、塩と砂糖、辛子を加えて煮て、しんなりと煮た大根を和えた郷土料理。

主に年に一度、報恩講の法要で親戚が集まるときに食べられます。

しかし、現在ではつくれる人は少なくなってきており、村民でも食べたことがないくらい貴重な料理です。

滑らかな舌触りと優しい甘さのなかにほのかに香る辛子、大根の歯応えが病みつきになり、気がつくとついつい手が伸びます。

新谷家では報恩講の法要で親戚が30人から40人集まるため、その時は一升ものじんだを一度に仕込むのだとか。

とき子さんは現在76歳。今から55年前、昭和40年に福井県の山奥から白川村木谷の新谷家に嫁ぎ、ご主人の保雄さんとご結婚されました。

石臼は嫁入り道具として母親から受け継ぎ使い続けているもの。木製の取手にはお母さんの手のかたちが残っているといいます。

この日はご主人の保雄さんと一緒に、この石臼で1時間かけて豆をすりつぶし、じんだを振る舞ってくださいました。

白弓荘の宿泊客からのメッセージを綴じたファイル。

「今は死ぬのがこわいくないくらい毎日が幸せ。今振り返ってもこの木谷という場所に縁があったんやなと思います。」と、とき子さん。

とき子さんにとって、心を込めた料理を食べて喜んでもらうことが元気の秘訣なのかもしれません。

ここがこだわり!

「石臼で豆をすりつぶす時は慌てずゆっくりと。急ぐと粗くなってしまって舌触りがよくないの。それから私は、少し値は張るけど青豆を使います。白豆よりも色も味もよくなるからね。」

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