Uターン – 飛騨日日新聞 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi 飛騨日日新聞は白川村での暮らしや文化、 そこに生きる村民のストーリーを届けるメディアです。 Tue, 10 Oct 2023 11:20:51 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.4 【対談/移住ってどう?】家業と地域・子育て https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/ijyuttedou04/ Sat, 08 Apr 2023 02:38:25 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=3103 移住に関するさまざまなテーマで対談する「移住ってどう?」。今回は、白川村で家業の旅館を営みながら、2児の父親として子育てにも奮闘する三輪さん、谷口さんにお話を伺いました。

三輪 了(みわ さとる)さん

愛知県出身。高山市に住んでいた時に、白川村の「城山館」(現在改修中。2023年4月中旬再開予定)が実家であるゆきさんと出会い、結婚を機に移住。若旦那を務める。2児の父。

谷口 暁良(たにぐち あきら)さん

白川村出身。調理の専門学校を卒業後、愛知県のいくつもの飲食店で腕を磨いた後、2020年にUターン。実家の「お宿 湯の里」を継ぐ。2児の父。

白川村に住むに至った経緯を教えてください。

谷口:白川村出身で、愛知県のいくつかの飲食店で働いた後、白川村に2020年に戻って「お宿 湯の里」を引き継ぎました。今は妻と両親、子ども2人と暮らしています。

三輪:愛知県出身で、23歳から高山市で働いていたのですが、ある会合で今の奥さんに一目惚れして、結婚しました。現在は義実家の旅館「城山館」で若旦那として働いています。奥さんや子ども2人、義父母、奥さんの兄弟など合わせて10人で暮らしています。

三輪さんは大家族なんですね!お二人は家業を継いでいますが、引き継ぐにあたって何か想いはあったでしょうか?

谷口:兄が早くから違う道に進んだので、自然と旅館を継ぐ意識は持っていました。動物が好きだったり、他にも興味を持つことはありましたが、最近は旅館で「ペットと泊まれる部屋」を始めたり、料理以外の願望も、この仕事をしながら実現できていると感じていますね。

三輪:当初は結婚後、高山市で暮らす予定だったので旅館を継ぐつもりはなかったんです。けれども、周りから家業を続ける大切さを聞いて、腹をくくって旅館を継ぐことに決めました。

谷口:僕は料理以外の経験はあまりないから、了くんにはいろいろ相談しています。家族経営の旅館は村内でも少ないから力を合わせてやっていきたいね。城山館はいま改装中だから、了くんにはうちの旅館を一時期手伝ってもらったりもしていました。

三輪:そうなんです。湯の里さんは自分が働いていたのもあって、半分自分の家みたいになっていますね。(笑)

旅館を営みながらの子育てはいかがでしょう?

三輪:会社勤めの頃と比べると、一緒に過ごせる時間はすごく長い。それと、僕の住む荻町は子どもと歩くにはすごくいい環境です。世界遺産や食べ歩きできる飲食店がすぐそこにあって、もちろん山や川も近い。

谷口:僕の住む平瀬も、夏は川、冬は雪と、子どもが遊ぶのにいい場所。平瀬は地域全体が親戚みたいで、近所のおじいさん、おばあさんも孫のようにうちの子どもを可愛がってくれます。高山市や愛知県でも暮らしてきましたが、人と人との距離感が全く違いますよね。自分もここで生まれ育ってきたのもあって、子育てするならこういう環境がいいなと思いました。

三輪:村民はもちろん、観光客との触れ合いもあって、楽しいですよ。ただ、家が職場で仕事をしながら子育てもしなければならないので、大変な時もあります。

谷口:それと、ぼくたちは旅館業をやっているから子どももお客さんとかいろいろな人と関わるけど、ほとんどの白川村の子は限られた人としか付き合いがないから、高校に進学して初めて村を出た時に人間関係に苦労するという話も聞くね。白川郷学園や保育園でフォローしてもらえるといいなと思う。

村ならではの人付き合いが、子どもの成長にも強く影響しますね。お二人自身の地域の関わりはいかがでしょう?

三輪:僕は消防団に入っています。元々村民ではないので、村を歩くと「誰だろう?」と思われることも多くて。消防団に入ってからは、村の方に覚えてもらえるようになりました。

谷口:僕も消防団に入って、地域の皆さんに「村に帰ってきたんだね」と知ってもらえました。地域のコミュニティに繋がる場だなと思います。

三輪:荻町は毎月の「寄り合い」のほかに「税金寄り合い」という集まりもあります。世帯で一人出席が必要で、今は義父が出ていますが、ゆくゆくは自分になるかな。

谷口:そんなに集まりがあるんだね!平瀬は頻繁に集まる機会はないから、地域を盛り上げるために何かやりたいなと考えています。

お二人はそれぞれ、村外で働いた経験がありながら、現在は白川村に根を下ろして生活されています。そんなお二人から見て、今後、白川村で移住者を増やしていくには何が必要だと考えていますか?

谷口:白川村は合掌造りとか、保守的だからこそ守られてきた部分もあるけど、これからは新しい人も受け入れて、切磋琢磨することが大事だと思う。観光でも、暮らしの面でも、魅力ある地域になってほしいね。

三輪:あとはアパートとか、移住者が暮らす場所が整うといいよね。白川村で住みたい人を受け入れやすい環境になればと思いますね。

ー日々、旅館を営みながら多くの観光客を迎え入れているお二人。村外で暮らしてきた経験があるからこそ、白川村の魅力と課題の両面が見えているように感じました。お二人とも、ありがとうございました!

今回の対談会場

今回の対談会場は、谷口さんが営む白川村平瀬の旅館「お宿湯の里」。趣ある佇まいに、源泉掛け流しの平瀬温泉、地元の食材満載の郷土会席が楽しめる。旅館には珍しいペットと泊まれる客室も。

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【対談/移住ってどう?】村の子育てと地域との関わり https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/ijyuttedou01/ Mon, 11 Jul 2022 21:00:00 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1796 移住に関するさまざまなテーマで対談する「移住ってどう?」。今回は、子育て奮闘中で普段から仲が良い2人にお話を聞きました!

余語茉莉花(よごまりか)さん

白川村生まれ。2018年にUターン。現在は「おけさ民芸品店」「飛騨牛にぎり処 おけさ」で働く。2児の母。

上手敬子(かみでけいこ)さん

金沢市出身。結婚を機に白川村に移住。現在は「ふるさと味処 結の郷」で働く。2児の母。

まずは、移住のきっかけを教えてください!

上手:白川村出身の旦那さんとの結婚で移住しました。金沢市の飲食店で働いていた時にお客さんとして出会って、付き合い始めて。最初は結婚まで考えていなかったんですが、白川村に遊びに来るたびに「いつお嫁に来るの?」と周りからすごく聞かれましたね。でも、嫌な気はしなくて、むしろ歓迎ムードが嬉しくて、嫁ごうと思いました(笑)。

余語:私は白川村出身だけど、高校進学後は村外にいました。Uターンのきっかけは都会での子育てに限界を感じたから。2人子どもがいると1人が病気になってもなかなか病院に行けなかったり、公園の人の多さが気になったり…。それで自分が育ったような環境で育てたいなと考えたの。それと、これから世の中がどう変わっていくかも分からないから、自給自足というか、自分の力で生きられる子になってほしいと思って、当時住んでいた名古屋で自然に囲まれた幼稚園を探したんだけど、費用が高いし、園庭も狭くて…。

上手:全国色々探したんだよね。

余語:そう、北海道から九州まで調べたね。全国でいい場所を探していたら、実は白川村が条件にぴったりで!

上手:元々はUターンを考えていなかったのが面白いよね!

余語:本当に、灯台下暗しだったよね(笑)。それに知り合いも多くて安心できるのもあって、帰ることに決めました。あとは旦那さんは海外の友人が多くて、白川村だと世界遺産もあって、案内しがいがあるのもいいなと思って。

実際に、村での子育てはどうですか?

上手:村の人みんなが見守ってくれるのがすごくいい。自分の子どもじゃなくても悪いことをしたら叱ってくれる。子ども同士も学年関係なく仲がいいよね。

余語:前に「白川郷 どこにいっても ぼくの家」という川柳を作った人がいたけど、本当にその通りだなと思う。

上手:でも、村に親族がいない人は大変かも。保育園の預かり時間が短いし、延長保育や土曜保育の制度はあるけど、利用することがあまり一般的ではないよね。

余語:祖父母が世話できることが前提になっているかもね。子どもを預かる公的な制度が整っていけば、子育て世代も移住しやすいんじゃないかな。

上手:でも、移住した家族の子どもも、他の子と同じようになじんでいるのがほとんどだよね。

移住者はどうすれば地域になじめるでしょうか?

余語:いろんなコミュニティに顔を出すことかな。公的なものも仲間内の飲み会も、手を挙げれば断られることはないと思う。

上手:私たちが出会ったのもどぶろく祭だったよね。

余語:どぶろく祭には、村を出た人も大体帰ってくるよね。私も絶対に帰ってきてた。毎年本当に楽しみで、高揚感がすごいんだよね。最近は結(ゆい)の活動も簡素化しているから、村民がいちばん一致団結すると思う。この時は村の人もすごくオープンだからなじみやすいかも(笑)。

上手:良くも悪くも、白川村では人との繋がりが必須だなと思う。「自分たちだけで暮らしたい」という人は難しいかもね。私は移住してきて村民に「当たり前やさ」って言われることが普通じゃないよ、と思うことが多かったから、その「当たり前」を教えてくれる人がいるといいなと思う。

余語:移住者と元々の村民を繋いでくれるような人と、最初のうちに出会えるといいよね。

今後、白川村がどんな村になるといいと思いますか?

余語:村出身の人も、移住者もそれぞれの良さを生かせる希望が持てる村になるといいな。「この村から何か発信したい!」と思えるような。

上手:村外から人が来てくれる「面白そうな村」になってほしいね。やりたいことを応援してくれる村というか。

余語:でも、合掌造りとか結(ゆい)の心とか、白川村が大切にしてきたものを守ることも大事。「守りながら変える」ことができるといいね。

上手:村民で移住者に抵抗がある人もいるけど、昔ながらの良さを維持するためにも、村民と移住者が交流して、お互いに柔軟になっていけるといいね。

ー白川村出身者、移住者という違いはありながら、それぞれの立場や経験から、移住への考えや白川村への思いをたくさん語っていただきました。お二人とも、ありがとうございました!

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【余語さんが働くお店】

おけさ民芸品店・飛騨牛にぎり処 おけさ

余語さんが働く「おけさ民芸品店」「飛騨牛にぎり処 おけさ」。「おけさ民芸品店」では、白川郷らしいお土産の品が豊富に揃います。テイクアウトのフードやドリンクがいただける「飛騨牛にぎり処 おけさ」では、飛騨牛にぎり、結旨豚(ゆいうまぶた)にぎり、飛騨牛軍艦の「飛騨の至福3種盛り」が人気。結旨豚にぎりを食べられるのは「飛騨牛にぎり処 おけさ」だけ!

飛騨の至福3種盛り(1,000円)

おけさ民芸品店・飛騨牛にぎり処 おけさ

住所/岐阜県大野郡白川村荻町103

営業時間/おけさ民芸品店 9:00〜17:00、飛騨牛にぎり処 おけさ 10:00〜16:00頃(なくなり次第終了)

定休日/不定休

Instagram/@okesa_shirakawago

【上手さんが働くお店】

ふるさと味処 結の郷

上手さんが働く「ふるさと味処 結の郷」。白川産米で作る自家製の焼きおむすび「ゆい結び」が名物。香ばしい醤油の香りが食欲をそそります。結旨豚やA5等級の飛騨牛の串焼き、飛騨牛乳使用のソフトクリームなど、白川郷の散策中にいただきたいグルメもたくさん!夏には冷たいドリンクもおすすめです。

ふるさと味処 結の郷

住所/岐阜県大野郡白川村荻町103

営業時間/9:30~16:00

定休日/不定休

WEBサイト/https://yuinosato.base.shop/

Instagram/@shirakawago__yuinosato


今回の対談会場

白川郷合掌文化館(旧松井家)。飛騨日日新聞の拠点である合掌造りの建物で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、世界遺産にも登録されている白川村荻町にある。

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白川村での愛しい思い出を、次の世代へ。/下方大誠さん https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/shimokata_taisei/ Wed, 06 Jul 2022 09:42:02 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1801

「いつかは白川村に戻りたい」と想いを抱いて。

2020年の年の瀬。白川村鳩谷地区出身の下方大誠(したかた たいせい)さんは約10年ぶりに白川村での暮らしをスタートしました。

中学卒業後は、所属していたバレー部での活動が評価され、岐阜市の高校へ進学。コンビニやスーパー、娯楽施設が近くにあり、何でも手に入る便利な暮らしは、当時15歳の下方さんには刺激的でした。

「もう少し街での生活を楽しみたい」と、高校卒業後は岐阜市の会社に就職。けれども、心にはいつも白川村の存在がありました。

「地元を離れてからも、長期休暇にはいつも村に帰っていました。いつも父が指導するバレー部のコーチ仲間たちがお酒の席に誘ってくれて、それが楽しくて」。

どぶろく祭の練習にも特別に参加させてもらい、お酒を振る舞ってもらったこともあったと言います。

あたたかく迎えてくれる故郷の人たちへ、いつか恩を返したい。そんな想いがだんだんと募り、社会人生活6年目の年に、白川村へ戻る決心をしました。

仕事も地域の活動も。大切にしたいものに積極的に取り組む。

Uターン後、下方さんは祖父が創業し、現在は叔父さんが経営する「有限会社 和田工業所」へ就職。

ホイールの研磨というこれまでに経験のない仕事を任されています。前職は営業職だったという下方さんにとって、手先の器用さや経験が求められる今の仕事は苦労も多いと言います。

それでもこの仕事を選んだのには理由がありました。

「他の仕事先からも声をかけてもらったんですが、祖父が創った会社を残したいという気持ちが昔からあって。まずは今任されている仕事を全うしながら、将来的には、今と形が変わったとしても継いでいきたいと思っています」。

そんなことを少し照れ臭そうに、けれども熱く語ります。

勤務先の有限会社 和田工業所の社屋

また、岐阜市にいた頃は仕事中心の生活でしたが、現在は地域の活動にも日々参加。

「青年会では成人式実行委員を務める予定です。自分たちも楽しませてもらっていい思い出になっているから、次は楽しませる番かな。次の世代にも喜んで欲しいですね」。

自身のバレー部での経験を生かし指導

さらに、白川郷学園のバレー部のコーチや、消防団員も務め、夏からは3年ぶりの開催が期待される伝統行事「どぶろく祭」の獅子舞の太鼓役の練習も始まります。

幼い頃から参加していた地域の伝統行事「どぶろく祭」の獅子舞

「昔から獅子が好きだったんです。Uターン前から次はお前だって言われていました」。

旧友や新たな仲間と共に 。

そんな下方さんの願いは、白川村で共に育った同級生たちが村に帰ってくること。

「地元を離れて初めて、村で育った同級生とは特別な関係だったんだと気付いたんです。今は村外にいる友人も“いつかは村へUターンしたい”、“子育ては白川村でしたい”という同級生も多いんですよ」。

そのためには仕事や住む場所の課題を解決しないと、と語ります。

「仕事がないからUターンできない、という話もよく聞くので、仕事の情報を積極的に発信してもらえるといいですよね。あとは、まちでは当たり前の働き方も白川村ではそうでなかったり、女性の正社員の働き口が少ないことも課題だと感じます。そういったことが少しづつ解決していけるといいなと思います」。

また昔からの関係だけでなく、村への移住者との新たな交流も生まれています。

「転勤で白川村に来ていた人は、よく近所の家の飲み会に参加してましたね。まちでの転勤だと、なかなかそういう関係はできないですよね」。

聞けば、その方は別の場所に異動になってからも、よく白川村に遊びに来てくれるそう。

「白川村に縁もゆかりもない移住者であっても、個人的には壁は感じていません。わざわざ白川村に移住する人は変わり者ですよね(笑)。でも、ありがたいことだと思います。出身者、移住者関係なく、一緒に村を盛り上げていきたいです」。

白川郷学園のバレー部の子どもたちと

白川村で過ごした愛しい日々を次の世代にも。下方さんの「恩返し」は始まったばかりです。


下方 大誠(したかた たいせい)さん

白川村鳩谷地区出身。中学校卒業後、岐阜市内の高校へ進学し、岐阜市で就職。2020年に白川村へUターン。現在は有限会社 和田工業所に勤務。

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地域のために、今できることを。/一般社団法人白川村ローカルアームズ 坂本磨紀さん https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/sakamotomaki/ Mon, 15 Nov 2021 01:58:01 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1407 2021年4月、一時は存続が危ぶまれた「さくら街道白川郷ひらせ温泉キャンプサイト」が、春の訪れとともにリニューアルオープンを迎えました。キャンプサイトの引き継ぎに手を挙げたのは、一般社団法人ローカルアームズの坂本磨紀さん。家業の美容院を営む傍ら、未経験の分野に果敢にチャレンジし、村に新風を吹かせています。

名古屋での美容師時代を経て、地元にUターン。

「僕、10代の頃から美容師をやっていて、キャンプのことは素人なんです」。薪割り機の手入れをしながら、快活な笑顔で話す坂本磨紀さんはキャンプサイトからほど近い白川村平瀬地区の出身。

実家は「HAIR SALON SAKAMOTO」を営んでおり、4代目にあたります。美容師は身近な存在だったものの、中学生の頃は全く興味がなく、経営者になりたいという漠然とした思いから高山市の高校の商業科へ。「なぜ経営者になりたいのかは自分でもわかってなくて。結局、当時流行っていた美容師の道を選んだんですよね」。

名古屋の専門学校卒業後は、名古屋市内で美容師として働き始めます。美容師としての日々は充実しておりコンテストで入賞するほどの腕前に。しかし、坂本さんはあることに気がつきます。それは美容室には高齢のお客さんは足を運ばないということ。その時、HAIR SALON SAKAMOTOの常連の顔が頭をよぎり3年間にわたって、休日返上で通信制の専門学校に通い理容師の資格を取得しました。

その後も仕事に没頭しストイックな生活を送っていた坂本さんの身体は限界に。心臓の不調でそれまでのように仕事を続けることが難しくなります。同じ頃、父親が亡くなり、人生はいつ終わるかわからないことを身をもって感じた26歳の坂本さんが選んだのは地元に戻ることでした。

村の人の思いを継いで、地域のためになることを。

Uターンしてからは家業を継いでハサミを握り、地域の方と親交を深めるようになった坂本さん。「地域のため」を意識するようになったきっかけは、年配のお客さんが口を揃えて言う「地域のためになることをしてほしい」という思いでした。その思いを受け継ぎ、かたちにすることが何よりものモチベーションになっています。「明日どうなるか分からないから今日やる。ただただ、その積み重ねですよね」。

地域のために何ができるか。考えた末に会社設立を検討していた坂本さんのもとにキャンプサイトの運営を引き継ぐ話が舞い込んできます。平瀬地区では保育園の統合やスキー場の閉鎖が相次ぎ、地域の衰退に歯止めがかからない状況で、キャンプサイトも閉鎖の決断を迫られていました。

「最初は会社をつくって農業で雇用を生もうと思っていました。でも、まずは目の前にある課題を解決しようと手を挙げたんです」。一部では上手くいくわけがないという声も上がるなか、地域の人々の協力もあって、2020年12月「一般社団法人白川村ローカルアームズ」を設立、翌4月にキャンプサイトの再開に漕ぎ着けたのです。

子どもたちが帰れる村に。

坂本さんは村の少年野球チームの指導もしています。「子どもたちに将来帰って来いよと言っても、今の村には帰る場所(仕事)がないんですよね」。坂本さんが目指すのは子どもたちが帰れる村をつくること。そのために、まずはキャンプサイトを軌道に乗せて若い世代を雇うことが目標です。

「村の衰退は想像以上のスピードで進んでいて、残された時間は10年もありません。だから、本来は5年かかることを3年で、3年かかることを1年で成し遂げないといけない」。そう語る坂本さんは常に10年後の村の未来を見ています。挑戦はまだ始まったばかり。今、一番必要なのは思いを共に前進する仲間です。 “ローカルアームズ”の社名の通り、地域の色々な人の手を借りながら、“日々、今日できること”を地道にこつこつ積み重ねていきます。

さくら街道白川郷ひらせ温泉キャンプサイト

問い合わせ/090-1782-0455 平日9:00 – 17:00

住所/岐阜県大野郡白川村大字長瀬字あまちの上766-1

HP/https://hirase-camp.com/

Instagram/@hirase.camp.site

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世界一おいしい米を白川郷から/大田ファーム https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/ota-farm/ Tue, 13 Jul 2021 10:36:34 +0000 https://www.vill.shirakawa.lg.jp/hidanichi/?p=1334 昨年11月、あるニュースが村を湧かせました。白川郷生まれの米が、米の国際大会で金賞を受賞、世界トップ18に選ばれたのです。快挙を成し遂げたのは「戸ヶ野のこしひかり」をつくる大田ファームの大田剛之さん、妙子さんご夫妻。村唯一の専業農家として、試行錯誤を繰り返しながら、米や野菜を育てています。

Uターンを機に、「農」で生業を。

5月下旬から6月初旬の白川村は田植えのシーズン真っ盛り。村内にぽつりぽつりとある田んぼは水をたたえ、青々とした稲が初夏の田園風景を彩ります。

村では多くの家が田畑を所有しているものの、古くから農業を生業とする家はありませんでした。

そんな農業未開拓地で、大田剛之さん、妙子さんは2012年に新規就農。村唯一の専業農家としての道を歩んでいます。

もともと、10年にわたって土建業に就き、その後大手工場に勤めていた剛之さんは農業は全くの素人。契機が訪れたのは2009年のことでした。リーマンショックで仕事が激減し、出身地である白川村戸ヶ野地区へのUターンを考えていたとき、村の営農組合の人材募集の情報が目に止まり、農業の世界に足を踏み入れることとなりました。

「いつかは村に帰るだろうと思っていたので、その時期が来たという感じでしたね。Uターンは前向きでした」

営農組合では、村民からの田植えや機械作業を受け負い、農業に携わるなかで、徐々に自分自身のやりたいことが見えてきた剛之さんは、2012年、夫婦で独立。「大田ファーム」を設立しました。

農業未開拓地でのチャレンジ

今でこそ村内外に認められている大田ファームですが、独立当初は苦労の連続だったといいます。

村には農業の先輩がいないだけでなく、おいしい米や野菜をつくっても、各家庭で食べる分はそれぞれの土地で栽培していることが多く、売り先がありません。

「村民には売れないし、観光客が野菜を買うことは考えにくい。村で売るという発想をやめないといけませんでした」と振り返る妙子さん。

二人は試行錯誤を重ね、黒にんにくやそば、甘酒など、加工品も含めて販売網を広げていきました。妙子さんが担当する30種類以上もの野菜は、ECサイトでセット販売するほか、学校給食で村の子どもたちにも食べられています。

世界一の米を育てることは、村の景観を守ること。

「飛騨米は全国的にレベルが高いのにまだ知名度が低いんです」と、過去の大会の分析結果をまとめた分厚いファイルを手に、悔しそうに呟く剛之さん。実際に飛騨の農家の米はこれまでにコンクールでの入賞歴が多数あり、米どころ新潟に匹敵するほど品質の高い米づくりをしています。

大田ファームが「第22回米・食味分析コンクール国際大会in富士山」の国際総合部門で最高金賞を受賞、さらには東洋ライスの「世界最高米」の原料米として選ばれたことは、飛騨地域の一員として、肥料の試験や水の管理などあらゆる研究を重ね、レベルの高い環境で米づくりに取り組んできたことの結果でもあります。

コロナ禍での受賞で式典がオンラインで開催され、受賞の実感を持てずにいた大田さん夫妻の励みになったのは地域からの祝福の声でした。

「役場には垂幕まで飾っていただいて、村の人たちに喜んでもらえたことがとても嬉しかったです」

白川村では2019年に「白川郷おいしいお米プロジェクト」がスタートし、役場や大田ファームをはじめとする農家が手を取り合って「白川郷こしひかり」のさらなるブランド化に取り組んでいます。「現状で満足することなく研究を続け、楽しみながらもっとおいしい米づくりをしたいです」。

付加価値の高い米をつくることが世界遺産の景観や田んぼを守ることにつながると信じ、大田ファームは夫婦二人三脚、これからも世界一の米を目指します。

大田ファーム

白川村認定農業者。ブランド米「戸ヶ野のこしひかり」のほか、にんにく、そば、ブロッコリーをメインに栽培。白川村産の米のブランド化にも積極的に取り組む。

HP/https://ota-farm.crayonsite.com/

直売所 長助

住所/岐阜県大野郡白川村鳩谷486-1
営業時間/ 10:30〜15:30 不定休 (冬季休業11月〜4月下旬)

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