最終更新日:2012年06月12日
[ がっしょうづくりとは]

白川郷の合掌造り

和田家の屋根裏
 国指定重要文化財となっている和田家の屋根裏

「合掌造り」とは、木材を梁(はり)の上に手の平を合わせたように山形に組み合わせて建築された、勾配の急な茅葺きの屋根を特徴とする住居で、又首構造の切妻屋根とした茅葺家屋です。

こうした建物はほかの地方にも見られますが、白川では「切妻合掌造り」といわれ、屋根の両端が本を開いて立てたように三角形になっているのが特徴で積雪が多く雪質が重いという白川の自然条件に適合した構造に造られています。

また、建物は南北に面して建てられおり、これは白川の風向きを考慮し、風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して夏涼しく、冬は保温されるようになっています。

合掌造りが日本の一般的な民家と大きく違うところは、屋根裏(小屋内)を積極的に作業場として利用しているところです。幕末から昭和初期にかけ白川村では養蚕業が村の人々を支える基盤産業でした。屋根裏の大空間を有効活用するため小屋内を2~4層に分け、蚕の飼育場として使用していました。

もうひとつの特徴は又首構造の切妻茅葺屋根という屋根の形態です。日本の茅葺民家の屋根形態は入母屋造りか寄棟造りが一般的ですが、合掌造りは茅葺でありながら切妻造りです。この形にはやはり養蚕が大きく関わっており、妻の開口部で風と光を取り込むことで蚕の飼育に適した環境が作り出されています。生活の機能が家の形となっているところに合掌造りの美しさを感じることができます。

合掌造りの構造

ブルーノ・タウトの発見

白川郷の合掌造りが広く知られ、各方面から注目をされるようになったのは、ドイツの著名な建築家であり建築学者であるブルーノ・タウト氏(1880〜1938)が、著書『日本美の再発見』で合掌造りについて記述したことがきっかけといわれています。

ブルーノ・タウト氏 は、1933年から1936年の3年余りを日本に滞在し、日本各地を旅しながら日本の美の再発見を行いました。桂離宮を世界に紹介し、さらに東照宮と比較したうえで前者に日本の伝統美を見出したことは有名です。また、日本独特の建築様式である数寄屋造りがモダニズムに通じることを評価、伝統と近代という問題に一石を投じ、日本建築界に大きな影響をおよぼしました。白川郷へは1935(昭和10)年5月に訪れています。

ブルーノ・タウト氏は著書の中で、「合掌造り家屋は、建築学上合理的であり、かつ論理的である」と絶賛し、また、「この風景は、日本的ではない。少なくとも私がこれまで一度も見たことのない景色。これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ」と述べています。このタウト氏の高い評価により、白川郷の合掌造りは世界中の人々の関心を集めるようになったのです。