最終更新日:2018年10月05日
解説
藤井家の旧母屋は切妻合掌造りであったが、昭和20年に火災で全焼した。幸い木倉だけは消失を免れ、そこから多くの名主文書に交じって消失前の合掌造りの板図が見つかった。
板図の裏側には家取立の年次が記載されており、それによると天明8年(1787)申2月とある。安永3年(1774)の「白川郷鳩谷・内ヶ戸・加須良村田畠屋舗反別石盛寄帳」によると、この時の藤兵衛家の所有土地面積は一町九反四献、高十二石五斗五升であった。この板図にみる超大型合掌造りには、こうした藤兵衛家の政治、経済的地位が反映していたのであろう。
概要
種別 |
歴史資料[村指定] |
所在地 |
個人所有 |
指定年月日 |
平成30年4月6日 |
説明 |
桁行25.8m 梁間14.2m |