加須良(かずら)川の上流へと、目もくらむような深い谷にへばりついた道をずっと登っていったところに、加須良の里の跡がある。むかしはこの道もついていなかったから、人々は蓮如峠(れんにょとうげ)をとおって行き来していたそうだ。
この加須良の里から、小山一つへだてた北側に、越中桂(えっちゅうかつら)の里があった。加須良が三戸、桂も同じくらいの小さな里やった。鳩谷(はとがや)へ出るには、一日がかりでないと行き来できない山奥やった。冬になると道もなんも雪に埋まってしまうから、この二つの里の人たちは、なにかと力を合わせてや暮らしとった。
五月と七月と十月の年三回の祭りの時など、大人はもちろん子どもたちも、小山を越えて互いの里へよばれに行き来したもんやった。おまつりしてある越中桂の神様は、石の神様やった。桂の祭りの日には、二つの里の衆はその祠(ほこら)*1のまわりで、いっしょになっておどり明かしたもんや。
*1:[祠]神をまつる小さなやしろ。
大雪の降ったある年の春、桂の里を流れる滝川が、雪解けの大水で荒れくるって、祠といっしょに石神様ものみこんでしまったんやと。やっとこさ水がひいたので、桂の人が総出で石神様をさがしたんやけど、とうとうみつからなんだ。
そのうちに、春の祭りが近づいた。
「今年の祭りは神様がござらんし、どうしょ」
みんなが寄って相談しよった晩やった。川のあたりからピカーッと、まるでお日様のようにまぶしい光がかがやいたので、みんなびっくりしておもてへとんで出た。なんやろうと思って川原へ行ってみると、光っていたのはなんとあの石神様やったんやと、その晩は、石神様から出る光がまぶしゅうて、桂の衆はちっとも眠れんほどやった。
次の朝、さっそく川原へ行き、石神様を新しく作り直したお堂へお迎えしようとした。ところが、一尺八寸*2ばかりの神様なのに、どうしても持ちあがらなんだや。三人しても、四人しても、五人しても、びくりともせん。みんな汗をびっしょりかいてきばったんやけど、どうしても動かなんだ。その日はあきらめて家へ帰ったが、夜になるとまたピカーッと光りだす。そして不思議なことには、石神様のある川原のほうから、「飛騨へつれていってくろー。飛騨の加須良へつれていってくろー」という声が聞こえてきたんやと。
*2:[一尺八寸]約五十五センチメートル。
そこで、桂の衆は、飛騨加須良の人に相談することにした。ところが、飛騨加須良では、桂の方角から不思議な光が見えたもんで、さっそく次の日、作佐衛門(さくざえもん)と五郎兵衛(ごろうべえ)と佐治兵衛(さじべえ)が、越中桂へとやってきた。
今までのことを桂の人から聞いて、三人はびっくりした。加須良でも一番の力持ちやった作佐衛門が、ていねいに合掌したあと、
「そしゃまず、おりが持ち上げてみるわい」
と、うんこらしょとばかりに持ち上げたんやと。そしたらなんと不思議なことに、桂の人が何人かかっても持ち上がらなんだ石が、軽がると持ち上がったんや。まわりにいた人たちは、みんなびっくりしてしまった。
そこで、まずは川原にあった大きな石の上に、石神様をていねいにおいて、みんなで合掌した。
「わしらにはどうしても動かせなんだのに、加須良の作佐衛門には楽に持ち上がったことといい、あの晩の不思議な声といい、この石神様は、どうも加須良のほうに因縁があるんでないろか」
「わりもそう思うか。おりも、どうもこの神様は、飛騨のほうへ行きたがってござるように思っとったんや」
「どうやろ。この神様は、飛騨加須良でおまつりしてもらったほうがいいんでないろか」
と、桂の人が口々に言った。そしていろいろ相談した結果、この石神様を飛騨加須良へお迎えすることにきまった。
「そしりゃ、わしらのほうで大切におまつりするでな」
と、加須良の三人は石神様を持ちかえることになった。桂から加須良への八町(はっちょう)*3ほどの峠道を、三人で大切に大切に運んだ。加須良の五郎兵衛と佐治兵衛には、作佐衛門と同じようにたいそう軽く持ち上げることができたんやと。
*3:[八町]約八百七十メートル。
それから加須良の里では、御社(おやしろ)を建てて、この石神様を氏神様(うじがみさま)として信仰するようになったんやと。それ以来、石が光ることもなくなった。
加須良の祭りの日は、前日どんなに雨が降っていても、カラリと晴れるようになったんやと。また、ある年の祭りの日にお酒をお供えすると、不思議なことに、いつもは白っぽい石が、まるで酔っぱらった人の顔のように赤く変わったこともあったそうや。
昭和四十三年、加須良の人たちは集団離村することになった。その時、この加須良の石神様は、鳩谷の神様といっしょにおまつりすることになった。そこで、加須良の人と鳩谷の人が、石神様を鳩谷の神社へ運ぶことにした。いよいよ御社から神様を移そうとした時、突然ゴーッという音とともに突風がおこり、御社の後ろにあった大きなけやきの木が、ゆれ動いたという。鳩谷について御社におさめようとしたところ、鍵がなかなか開かず、こわそうかと思ったほどだったという。そこにいあわせた人たちは、神様が加須良を離れるのを悲しんでいらっしゃるのだろうと、話し合ったそうだ。
今では、加須良の人が行き来していた蓮如峠も、加須良の里の跡も深い草におおわれてしまっている。蓮如上人(れんにょしょうにん)の杖から芽が出たと伝えられるかしの木の下では、離村の碑(ひ)と越中桂への辻に立っていたおじぞう様が残って、加須良の里の思いをとどめている。
おしまい