今、仙蔵(せんぞう)は、盃(さかずき)にうつった自分の顔を、静かにじっとながめています。自分の顔のどこがおもしろいのか、さかもりが始まってからも、長い間盃から目をはなそうとはしません。大きな熊のように骨太(ほねぶと)のがんじょうなからだ。真っ黒に日焼けした荒々(あらあら)しい顔。その口からさみしそうにひとつ、深いため息がもれました。
「頭(かしら)、今日はとりわけでけえ仕事をしたというのによ。いったいぜんたい何をしょげた顔をしとるんじゃい! まあ、いっぱい」
頭とよばれたのは仙蔵。信濃(しなの)*1のあちらこちらを荒しまわり金を持ってそうな屋敷(やしき)から宝を根こそぎうばって火をつけ、平気で人を殺(ころ)すおそろしい盗賊(とうぞく)の親分なのです。
*1:[信濃]現在の長野県。
徳川(とくがわ)の幕府(ばくふ)がさかえた時代には、侍(さむらい)がいばり、農民は年貢(ねんぐ)をおさめなければなりませんでした。ききんの年がつづくと、殿様にさし出す米が満足につくれず、ひえやあわが食べられればいいほうで、草や木の実でうえをしのぐこともありました。かわいいわが子を売った金で生きながらえなければならなかった大変苦しいころのことです。仙蔵も幼(おさな)いころ、食いぶちをへらすために親にすてられました。
手下に酒をつがれながら仙蔵は、今日の仕事を思い出しました。
「おっかあを殺すな。おとうを殺すな、人でなし!・・・」
盗(ぬす)みに入った家で、七、八才の幼くかわいい女の子が、ぎらぎらとした目でにらみつけた姿が、仙蔵のまぶたにやきついてはなれません。仙蔵はじっと何やら考えていましたが、やがて決心したようにつぶやきました。
「おれもそろそろしおどきだわい。これまで悪事(あくじ)のかぎりをつくしてきたが、もうやめだ。どこか遠くへ行って、まっとうなくらしがしたいものよ」
心に決めた仙蔵は、手下のなかでもいちばん信頼(しんらい)ができる鬼兵衛(きへい)だけに自分の思いを話、これまでかせいだ金をたっぷり袋にしまって旅にでました。
塩商人(しおしょうにん)にばけてはいるものの、仲間(なかま)から逃げなければならないので、けわしい山や谷をえらんで進まなければなりません。いつ盗賊の仲間たちが追いかけてくるかわかりません。馬に積んだ袋の重いこと重いこと。気が気ではありません。
野麦峠(のむぎとうげ)をやっとで越(こ)え、ぐねぐねと曲がりくねった天生峠(あもうとうげ)にさしかかりました。必死(ひっし)の思いで足を引きずり、さて一息(ひといき)つこうとしたとき、つれの鬼兵衛が足をふみはずし、深い谷底に落ちて命をなくしてしまいました。
ひとりになった仙蔵は、荻町(おぎまち)、保木脇(ほきわき)を通り平瀬に着くと、もう足はくたくたでこれ以上一歩も歩くことができなくなりました。
「しかたがない。ここらあたりで泊まるとするか」
一晩のつもりが、平瀬の人たちの親切なふるまいと、ここまで来れば手下どもも追ってはこないだろうという安心した気持ちになり、二晩、三晩とたつうちに、とうとうお宮の上の方に小屋を建てて住みつくようになりました。
「おれは、もとは盗賊じゃ。むかしの罪をつぐなうためにも、はやく平瀬の人たちとなかよくなり、少しでも役に立つようにならんと・・・」
と心に決めて、いっしょうけんめいに働きました。
仕事は鍛冶屋(かじや)です。盗賊の頭でもあったくらいですから、何でもできます。腕(うで)もたしかです。はじめはめずらしがっていた村人も、仙蔵のまじめな働きぶりを見て、だんだん気をゆるすようになりました。
「仙蔵さよ。ながもちするかまをこさえてくれんかよ」
「くわのぐあいが悪くてなあ。ちょっとなおしてくりょ」
仙蔵をたよってくる人たちが、日ましにふえてきました。
親しく話をかわすうちに、仙蔵を信じて相談事(そうだんごと)を持ち込む人もありました。中でも多いのが、生活がえらくて食うのがやっとやという話です。村人の苦しいくらしの様子を見るうちに、
「銭(ぜに)がなかったら、おりが貸(か)してやるでな。困ったときはおたがいさまや。利子(りし)もとらんし、いつ返してくれてもええが、貸した分はきっちりもらわんならんぞ」
と、つい口に出してしまいました。
その日からは、「仙蔵は腕もたしかじゃが、まずしいものに金を貸してくれる」といううわさが広まり、ますます仙蔵の人気は高まっていきました。村人たちは、仙蔵のことをいつとはなく「銭貸しの銭蔵(ぜにぞう)」と呼ぶようになりました。仙蔵も悪い気はしなくなり、たよってくる者に気前よく銭を貸してあげました。
仙蔵が金を貸してやるとき、いつもきまった言葉を口にしました。
「ここにかけてあるまんまが食えるようになるまで待っとってくりょ。そしたら金をわたすでな」
こう言うと、すっと外に出て姿を消してしまうのです。おおかたの村人は、金を貸してもらえればいいのですから、仙蔵の言う通り待っていて金を借りていきましたが、中には、あやしいと思って仙蔵の後をこっそりついて行く者もおりました。
ところが、仙蔵の足はなみの速さではありません。風のように姿をくらますので、つい見失ってしまうのです。
さて、こうして仙蔵がすっかり平瀬の土地の者としてくらすようになってから何年かたちました。ある日、一日の鍛冶屋の仕事を終わって床につこうとしました。とその時、「ドンドン、ドドン、ドドン、ドンドン・・・」入口の戸をはげしくたたく音がしました。
「なにごとじゃ・・・」
仙蔵はびっくりして土間におりてみると、
「仙蔵! ついにみつけたぞ! はやいとこ、ここを開けやがれ。仲間の金はどこへやった」
という怒鳴(どな)り声が聞こえてくるではありませんか。むかしの盗賊の仲間たちです。平和なくらしになれてしまった仙蔵は、いっしゅん体がこおってしまいました。しかし、さすがにもと盗賊の頭。今にもやぶってきそうないきおいに背を向け、刀だけをすばやく手に持ったかと思うと、反対側の窓をつきやぶり、家の外へ飛び出しました。
死にものぐるいで逃げる仙蔵。逃がすものかと目をつり上げて必死で追いかける盗賊。仙蔵は矢のように走ります。ひえの穂(ほ)をひょいと越え、小川をひととび、草木が波打つ。
何が何でもとっつかまえようと迫(せま)る盗賊たち。敵は七人、こちらは一人。仙蔵が息切れして立ち止まった時、ヒュッと飛んできた毒針(どくばり)が首すじにつきささりました。それでも力をふりしごって追手(おって)と刀をまじえましたが、とうとう仙蔵は力つきてとらえられてしまいました。
「仙蔵、金のありかはどこだ! 言え! 言わぬなら命はないぞ!」
なぐられたり、足げりにされておどされましたが、仙蔵はがんとして口をわらなかったため、ついに命をおとしてしまいました。
追手の盗賊たちは、仙蔵の家の中をすみからすみまでさがしましたが、金はどこにも見つかりません。盗賊たちはとうとうあきらめて、引き上げてしまいました。
仙蔵が命をかけてまで、金のありかを教えなかったのにはわけがあったのです。いつかは追手に見つかって、自分の最後がくるのではないかと気がかりだった仙蔵は、特に仲のよい村人にこんな言葉を残しておいたのです。
「おりは、平瀬に住みつく前にひともうけをして、たんまり金を持っておった。おりがもし、何かで死ぬようなことがあったら、白い藤の花を見つけて、その下を掘(ほ)ってみよ。そこに金があるはずじゃ。村のために役立つくらいはある」
白い藤の花、その下に大金が眠っている。そんな話が村人たちに伝わって、白い藤の花をさがしてその下を掘ってみる人もいましたが、いまだに金は見つかっていないようです。
平瀬の常徳寺(じょうとくじ)を訪れると、そこには「銭蔵の跡(ぜにぞうのあと)」と記された札がひっそりと立っています。
おわり