最終更新日:2013年07月10日
[おおじらかわのちなばし]

大白川のちな橋

そのむかし、白川郷では、長雨や日照りがつづいては、くる年もくる年も不作(ふさく)の苦しみにあえいでおりました。農民たちは、朝な夕な、高くそびえ立つ、白山の頂上(ちょうじょう)をあおいでは、その神に豊作(ほうさく)の祈(いの)りをささげていました。

中には、頂上の神様に直接(ちょくせつ)お願いをしなければと、けわしい山道に命がけでいどむ農民も出てきました。そのころ、大白川の深い谷に入って頂上をめざすことは、今とはくらべものにはならないほど大変なことでした。

目もくらむような絶壁(ぜっぺき)にへばりつくようにつくられた小道。その下には、白山をかけおりた水が、岩をかんでごうごう流れています。また、昼なおう薄暗(うすぐら)い原生林のかげには、まっさおな渕(ふち)が不気味(ぶきみ)に横たわっています。時には、一足ごとにゆれ動く藤のつり橋の上で身のすくむ思いをしなければなりません。こんなふうですから、よほど度胸(どきょう)のある強い男でもないかぎり、ふみ込むことはむずかしいことでした。

また、道中の危険ばかりでなく、白山は神聖な山として、女の人は登れないことになっていました。

さて、そのころ、平瀬に「ちな」という名の女が住んでいました。年のころは三十五、六才、男まさりの働き者でとおっていました。「ちな」は、日に日につのる村人の苦しみを、人一倍気にやんでいました。

ある夏の日、雨乞(あまご)いの集まりの中で、思いあまった「ちな」は突然言い出しました。

「女だから白山に登れんなんていうのはおかしい。女だからといって登れんはずはない。わたしは、頂上まで行って御来光(ごらいこう)を拝み、神様にお祈りをしてくる」

これを聞いた村人たちは、日頃(ひごろ)の男まさりを知りながらも大変びっくりしました。

「ばかなことを言うな。女が白山に登ったりしたら、これ以上、村にどんな難(なん)がふりかかってくるかわからん」

「いくらきつうたって、女の身ではとても近づけるような山じゃない」

村人たちは、口々に、なんとか思いとどまらせようとつとめました。しかし、気丈(きじょう)な「ちな」は、いっこうに聞き入れようとはしません。とうとう村人たちも、この女の固い決意(けつい)をくつがえすことはできませんでした。

大白川のちな橋 その1

次の朝早く、きりりと身支度(みじたく)をした「ちな」は、ひとり大白川の谷へと入って行きました。

夏草のおおう山道はいよいよけわしくなり、そのおそろしさも、今まで聞いてきた以上にきびしく「ちな」の前にせまってきます。

しかし、「ちな」の足どりは弱まる様子もありません。村里の豊かな実りを夢(ゆめ)見ながら進む「ちな」には、ますます勇気(ゆうき)と力がわいてくるかのようでした。

さて、最初のつり橋にさしかかった時です。足を一歩ふみ入れるやいなや、不思議(ふしぎ)にも「ちな」の体は真っ二つに引きさかれ、あっというまに深い谷底(たにぞこ)へと落ちていきました。たちまち渕の水は真っ赤にそまりました。が、やがてそれも流れ去り、深い谷間はもとのまま、水の音だけがひびいていました。

そのことを知った村人たちは、「あんなに止めたのに、やっぱり白山の神様が怒(おこ)られたのだ」と言って、いよいよおそれおののきました。

それからというもの、だれが名づけたともなしに、その橋は「ちな橋」とよばれ、白山へ登る男たちが、もっともおそれる難所(なんしょ)のひとつになりました。

神様の怒りをまねいた「ちな」でしたが、村人のくらしを思う心は神様を動かしたのでしょう。次の年からは、不順(ふじゅん)な天候もおさまり、田んぼも畑も豊かに実るようになったということです。

大白川のちな橋 その2

おわり