最終更新日:2013年05月10日
[さんぽういわのたからもの]

三方岩の宝物

今から四百数十年も前のことです。白川郷帰雲城(かえりくもじょう)の殿様は、領内(りょうない)の金山からとれたたくさんの黄金を、軍用金(ぐんようきん)として城内の蔵(くら)におさめていました。そのうわさを聞きつけて、遠い伊賀(いが)の国*1から、一人の盗賊(とうぞく)が来て城下町に住みつきました。

*1:[伊賀の国]現在の三重県西部。
三方岩の宝物 その1

この盗賊の名前を、人々は「八五郎」と呼んでいました。八五郎は城下町で、青物屋(あおものや)を開きました。他の店よりも安く売っていたので、店はいつも繁盛(はんじょう)していました。八五郎は、城中にも品物を売りに入りました。そして、黄金の蔵へ忍(しの)び込む方法がないかと、ひそかに考え、時のくるのを待ちかまえておりました。

やがて、盆おどりの季節をむかえ、城下町では、おどりのけいこでにぎわっていました。そんなある晩(ばん)のことです。伊賀育ちの八五郎は黒しょうぞくに身をつつみ、お城に忍び込みました。めざす黄金の蔵は、一番奥にあります。近づくにつれて、警戒(けいかい)がいよいよきびしくなり、少しの油断(ゆだん)もできません。

伊賀流の忍術(にんじゅつ)を身につけている八五郎は、蔵の前につくと、七つ道具で戸を開き、中に入り込みました。黄金の延(の)べ棒(ぼう)をぎっしりつめた箱が、いっぱいに積み上げてあります。

八五郎は、背中にいくつかの箱を背負い、何かもっと良い物がないかと見回していると、桐(きり)の箱が目についたので、これも一緒(いっしょ)にかついで外へ飛(と)び出しました。

三方岩の宝物 その2

しかし、背中の箱が重くて、途中(とちゅう)で動けなくなりました。仕方なく城の石垣(いしがき)の石を抜き取って、その中に黄金の箱をかくし、桐の箱だけを持って、自分の家にやっともどりました。

次の日、城下は黄金の箱を持って逃(に)げた者がいると、大さわぎになりました。

これを知った八五郎は、城下町にいてはあぶないと思い、黄金を取りにもどることもできず、夜逃げをすることにしました。盗(ぬす)んだ桐の箱をかくし持ち、川下(かわしも)に向って急ぎました。夜明けのころ大窪(おおくぼ)の里に着きました。しかし、腹がへり疲(つか)れはて、どうにも動くことができなくなりました。そこで、近くの合掌造りの家に入って、助けをもとめました。

家の人たちは、八五郎の様子を見て気の毒に思い、あたたかくもてなしてくれました。やさしく信心深い人たちにふれているうちに、八五郎はついつい今までのことを、全部話してしまいました。

三方岩の宝物 その3

この家の人たちは、嘉念坊(かねんぼう)様の教え*2を信じておりますので、「それは悪いことをした。でも、ほんとうに悪いと思いあらためようとするなら、仏様は助けてくださるだろう」と言いました。

*2:[嘉念坊様の教え]親鸞(しんらん)の弟子(でし)である嘉念坊善俊(かねんぼうぜんしゅん)が白川郷に入り、広めた浄土真宗の教え。

こうして話を聞いているうちに、八五郎は自分のおかしてきた罪(つみ)の深さに心が痛(いた)み、なみだがこぼれおちてきました。

八五郎は、持ち出してきた桐の箱のことが気になり、ふたを開けてみました。すると、中に銅(どう)でつくられた箱が入れてあります。その箱は、どんなにしても開くことができませんでした。

「これには、大切な宝物(たからもの)が入れてあるのであろう。この箱は、高い山の頂上(ちょうじょう)に埋(う)めて、いつまでも人目にふえないようにすれば、少しは罪ほろぼしになるにちがいない」と考えました。

次の朝、八五郎は、三方岩岳(さんぽういわだけ)の頂上に登って、ひそかに桐の箱を埋めたということです。

おわり